2014年09月02日

再開にあたり、過去記事を見直しました


 定期更新の再開にあたり、過去記事をすべて見直しました。

 現在の法律における解釈をもとに、管理人(本条克明)の判断によって、著作権を遵守(じゅんしゅ)することが目的です。



          

 記事内に載せていた動画については、
 公式なもの(著作権や放映権の所有者が公開しているもの)で、動画の埋め込みが禁止設定されていないもの以外は、すべて削除しました。
公式な動画であっても、現在は非公開になっているものは削除しています。

          

 画像については、大幅に削除、変更をしています。

 写真から、自作のイラストに変わっているところもあります。

 また、本の表紙などの商品画像は、削除または、楽天アフィリエイトのリンク画像に変更されています。

 僕が調べたところによると、現在の法的な解釈では、アフィリエイト画像なら著作権的に問題はないようです。
近年、目まぐるしく解釈が変更しているので、もしかするといずれはこれも変わるかもしれません。

 本の画像をはじめとする商品画像は、アフィリエイト用のリンク画像を使用していますので、画像をクリックすると別ウインドウで楽天市場の商品ページが開きます。なにとぞご了承ください。

商品画像を使用させていただくのが主目的なため、売り切れなどの理由で注文できないページのリンク画像を載せている場合があります。

          

 また、記事内の文章についても、加筆修正などの変更が一部ほどこされています。

 といっても内容は基本的に変わっていません。
 より良くなるように推敲(すいこう)し直した――というていどの変更です。
推敲とは、「文章を手直しすること」です。


 ただ、
「この世界に、『天国』が見えていますか?」
 という記事については、大幅に変更を加えています。

 この記事の最後で、OSHO(オショー)が説いている「この世界を天国に変える方法(満足を感じる)」を引用していたのですが、

記事内の引用の割合が多かったので、引用の記述をへらす
〈いま幸せ〉の方法をご紹介したほうが、より実践しやすいと思われる

 という理由から、最後の部分を、

 好きなもの、好きなことに対して、「好き」と言う
 (『〈いま幸せ〉を実践する方法』より抜粋)

 という記述に変更いたしました。

こちらをご確認ください。
この世界に、『天国』が見えていますか?


           

 本来であれば、誤植以外の理由で過去記事に手を加えることはあまり好ましくないのですが、作家である以上、「文章を公開する模範(もはん)」でありたいと考えています。

 実際のところ、著作権法というのは、もとが親告罪ということもあり、厳守(げんしゅ)するのは容易ではないのですが、できるかぎり遵守(じゅんしゅ)していくつもりです。

 以前よりも記事が味気(あじけ)なくなった――と感じる方もおられるかもしれませんが、なにとぞご理解いただきますようお願い申しあげます。

今日はもうひとつお知らせがあります。
更新は、週に1回(土曜日)になります


親告罪としての著作権法は、「被害や不利益をこうむっている権利者の訴えがあったときに、はじめて起訴が可能になる」というもの。
 著作権法は親告罪であることが前提につくられているため、厳守させようとすると、逆に言論の自由や表現の自由を侵害する可能性があります。
 ですが、近年、知的財産権に対する意識の高まりによって、著作権の非親告罪化(権利者の訴えがなくても厳守させようという動き)が進んでいます。
 とはいえ現在の法律のままだと「著作権の厳守」というのはひどく矛盾に満ちており、違反にあたるのか否かの判断も意見が割れています。現行の法律では表現者の側に「ルールに則ってやろう」という意志があっても、ルールが曖昧(あいまい)なため、正確に守るのは容易ではありません。
 ひとむかし前であれば、「権利者が決して不利益にならないこと」を大前提にしていれば、自由に表現することがおおむね容認されていたのですが……
 ひとりの著作権利者・表現者として、法とルールが明確化されることを願うばかりです。


posted by 本条克明 at 10:16| Comment(8) | お知らせ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
始めまして、ダスティン・アッテンボローと申します。
他のブログ見て、銀河英雄伝説の話などや小説の書き方を読んで、コメントをしたいと思い、勢いで書き込みました。すいません。

迷惑ではなければ、れからよろしくお願いします。
Posted by ダスティン・アッテンボロー at 2014年10月01日 04:28
>ダスティン・アッテンボロー様
はじめまして、本条克明です。
こちらこそ、よろしくお願い致します。

当サイトの「小説の書き方」に関するお話は、
「本条克明の場合は、こういう書き方をしている」
ということを前提にお話ししておりますので、あくまでも『参考』としてお読みいただけましたら、たいへん嬉しく思います。

P.S. ハンドルネームを、作中のキャラクター名そのままではなく、少し変えてくださったことを感謝いたします。近年は著作権に関して過敏なほど厳しくなっておりますので、この種の繊細なご配慮は、サイトの管理人としてとても助かります(嬉
Posted by 本条克明 at 2014年10月01日 12:25
コメントの返事ありがとうございます。すいません、配慮不足で。名前を変えて「伊達と酔狂」はだめですか?
私も実は、精神病に掛かってそれを克服するめために空手をやり今躁鬱の気がありハイテンションになってます。
それが、だめでしたらまた別のハンドルネームにしたいと思います
Posted by 伊達と酔狂 at 2014年10月02日 21:07
>伊達と酔狂様
もちろん、だいじょうぶです。
以前のハンドルネームでも、作中とは少し変えてあったので問題はありません。
お好きなほうのハンドルネームでご投稿ください。

空手は良いですよね。
僕の兄も空手をやっていて、某流派の道場で師範代を務めています。
兄を見て気づいたのですが、ボクシングなどのスポーツとはちがい、武道には引退がありませんので、空手は年齢に関係なく修行をつづけることができるんですよね。
ボクシング経験者としては、うらやましく思います。

精神修行に、空手を選択したのは賢明だと思います。
強くなっていく経験によって得られる自信・自己肯定感は、とても価値のあるものですしね。
Posted by 本条克明 at 2014年10月03日 13:26
そうですね。空手をやってから欝に耐えられる精神力はつきました。

お兄さんも空手の師範をしてるのですか? すごいですね。

しかしやはりボクシングはスポーツになるんですか? 自分的にはボクシングも武道と考えております。

Posted by 伊達と酔狂 at 2014年10月05日 21:34
>伊達と酔狂様
ボクシングを武道と見なしてくださったことを、元ボクサーのひとりとしてたいへん嬉しく思います。
ありがとうございます(喜

ですが……
たしかにボクシングも良い精神修行にはなりますが、実際には武道ではなくスポーツです(苦笑

少し長くなりますが、伊達と酔狂様の空手修行になんらかの役に立つかも知れませんので、簡単に、
「武道とスポーツ(競技格闘技)のちがい」
について記しておきます。

         ***
武道や古武術は、
「先人(創始者)が確立した『技』や『精神』を学ぶ」
という修行体系です。
そのため、『技』や『精神(思想)』がすでに用意されています。

先人が確立した『技』や『精神』を深く理解し、実践することによって、先人が体得した『強さ』や『悟り』を自分のものにする――

というのが、武道や古武術における本質的な修行法です。

そのため、もし空手の道場で、ボクシングのパンチのような突き方や、ムエタイのキックのような蹴り方をしたら、
「それは空手じゃない!」
と叱責されてしまいます。
空手は武道なので、「空手の突き方」や「空手の蹴り方」というものが定められているからです。

これは、武道における『技』や『精神』が、不変であることを意味しています。
10年後も、20年後も、100年後も――現代の空手家とおなじように、未来の空手家は「空手の突き方」、「空手の蹴り方」をします。

つまり武道家は、
「不変の技や精神」
を学んでいるわけです。

          *

ボクシングは、スポーツ(競技)です。
そのため、『ルール』が「ボクシングそのもの」です。

『技』は定められていません。
基本はありますが、最終的にはボクサーのひとりひとりが、
 自分独自のパンチの打ち方――
 自分独自の防御――
 自分独自の戦術――
というものを、創意工夫して身につけます。

「ルールに則って、勝つこと」
それが競技における唯一の目的です。
野球であれ、サッカーであれ、スポーツはすべてそうですよね。

ボクシングもまたスポーツですので、ルールに則って勝てるのであれば、たとえ空手の突きのようなパンチを打っても、いっこうにかまいません。
ルールに則って勝てるのであれば、どんなやり方も容認されます。

スポーツでは、選手のひとりひとりが工夫して、自分独自の『技』や『精神(考え方)』をあみだします。
そのため、スポーツの世界では、時代とともに『技』や『精神』が変化していきます。

実際、ボクシングの世界では、100年前のテクニックや理論はすたれてしまい、現在では誰もやっていません。
スポーツにおける『技』や『精神(考え方)』は、進化の過程のものであり、時代とともに変化するからです。
         ***

僕自身は、空手のような『武道』と、ボクシングのような『競技格闘技』があることは、良いことだと思っています。

「先人の知恵を学ぶ」という修行法が向いている人は、武道や古武術を――
「創意工夫して自分独自の方法をあみだす」というやり方が向いている人は、競技格闘技を――

というように、自分の向き不向きに合わせて「強くなる方法」を選択できるからです。

僕の場合は、競技格闘技のほうが性格的に合っていたので、ボクシングのほうを選びましたけどね(笑

長くなってしまいましたが、ご参考いただけましたら嬉しく思います。
Posted by 本条克明 at 2014年10月06日 15:31
返答が遅れて申し訳ありません。
私は、ボクシングはあまり歴史は詳しくありませんのでありがとうございます。
武道とスポーツの違いになるのですね。

自分は、精神を鍛えるために空手をやりましたので、ボクシングもやはり同じに感覚で見てました。

まだまだ勉強不足です。 ありがとうございます。
Posted by 伊達と酔狂 at 2014年10月20日 22:38
>伊達と酔狂様
こちらこそ、ありがとうございます。
Posted by 本条克明 at 2014年10月21日 11:42
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